最近ではスーパーで売っている魚の切り身がその姿で海で泳いでいると思っている子供が多いといいます。また、学生にニワトリの絵を書かせたら足を4本書いている学生が多かったという話も聞いたことがあります。魚や鳥肉は毎日のように食べているのに生きている姿は知らないという常識の無さを笑い話にしているようです。しかし、私たちはこの子供や学生を笑えるほど生きた自然を知っているでしょうか。現在のように「切り身」になった肉や魚、パック入りの野菜などが、スーパーマーケットで買えるようになるまでは、生活の糧は身の回りの自然の中から手に入れてきました。森の中からは山菜、木の実、きのこ、川や海からは魚や貝を採ってきていました。もちろん「切り身」ではなく、本来の姿、「生身」のものを採ってきていました。このように人間が自然と深いかかわりあいをもちながら生活していた時代では、「切り身」にされていない「生身」の自然とつきあってきたといえます。
しかし、現代は流通が発達し世界中からさまざまなものが「切り身」や「パック入り」で入ってきて売られています。もはや、それがもともと自然の中ではどのような姿であったのか想像がつかないものが多くなっています。さらに、現代は情報化社会となり、本当なら自然の中に踏み込んで何カ月も観察を続けなければ見れないことが、わずか1時間の映像で簡単に見れたりします。これも自然の「切り身」化といえるでしょう。
実は自然保護というものは、人間が自然と深くかかわっていたときには必要ありませんでした。自然が破壊され、人と自然が切り離されたとき、その危機感から自然保護は生まれてきました。自然保護は自然が「切り身」化され続ける時代のものなのです。
ここで、自然保護に関わるものとして気をつけなければならないことがあります。それは、現在は「切り身」の自然がごくふつうにあふれているのに、スーパーで切り身の魚を見た子供のようにそれを本物の「生身」の自然であると勘違いしてしまうことです。どんなに著名な本に書かれていることも、どんなにすばらしい写真や映像もすべて「切り身」の自然にすぎません。最近は自然復元などが行われるようになりましたが、どんな自然に復元したいと思っているでしょうか。ヨーロッパなどの美しい風景や子供のころの懐かしい記憶の風景をイメージしているかもしれませんが、それでは「切り身」の自然になってしまいます。本当の自然を守るためには「生身」の自然を知る必要があると思います。実際にこの身で自然のなかに踏込み少しでも自然との関わりを深めることが大切だと思います。
「生身」と「切り身」の話は、「自然保護を問いなおす 〜環境倫理とネットワーク」、鬼頭秀一、1996年、ちくま新書を参考にしました。おもしろい本ですので一読をお薦めします。