最近、植物の絶滅危惧種調査(レッドデータ:RDB)が話題になることが多く、一般にも種の保全に対する関心が高まっている。私も種の保全調査に協力しようと思うが、そもそも種の保全調査はいったいどんな意味を持つのか、疑問に思うことがある。植物に限らず動物も含めて、あらゆる生物が、単体または単一の群衆として生活していることはありえない。普通は、多くの種が複雑に関連しあって生態系を構成していると考えられる。それなのに、種の保全リストにとりあげられているものは種名だけで、その有無や頻度についての調査が目的のように見える。種の保全とは、その種があればよいのではなく、その種の生育する幅広い意味での環境が維持されていて、はじめて保全が達成される。よく言われることだが、消滅する前に移植すればよい、と短絡的に結論される。しかし、本来の目的は、種の保全だけではなく、種の生育環境の保全にあるのでしょう。良い自然環境が維持されている指標として、RDBのリストができあがっているはずです。新潟市の西端に生活する私は、急激な環境悪化を目の当たりにして、いったい世の中はどうなっているのかと深く思うことがあったので、シロヨモギを題材にしてその実態を紹介したい。シロヨモギはヨモギの仲間で、草丈は低いが、全体に白毛で覆われ、晩夏には美しい大きな花房をつける。シロヨモギは、新潟県では佐渡島に分布せず、柏崎市以北の越後の海岸沿いに限られており、最近はほとんど生育地が確認できなくなっている(新潟県1979;石沢1989,1997)。柏崎市荒浜の東京電力原発敷地内にあったものは、一部移植されて生き残るだけで、もとの生育地は消滅した(柏崎の植物編集委員会1981)。酒井(1987)によれば、「かつて、北蒲原ではシロヨモギの群生で海岸がまっ白に見え・・・」と述べられるほど、越後の海岸では重要な景観を構成していたのである。しかし、新潟県のRDB植物候補検討資料(新潟県1998)では、絶滅危惧II類(VU:絶滅の危険が増大している種)と位置づけられている(本誌1998.23・24号:新潟県レッドデータブックの調査にあたって情報協力のお願い、を参照)。消滅を警告する文献や行政当局による文書があり、「建造物などの人為的な海岸砂丘の破壊をさけるべきである」とはっきりと指摘されているにもかかわらず、なんら特別な保護は加えられていない(新潟県1983)。私の近所の海岸は、「日本海夕日ライン」と名付けられており、シロヨモギが比較的多く生育していたが、その生育地の真上に道路(国道402号線)が建設された(写真1)。
写真1
シロヨモギの生育地上に作られた道路と廃棄物埋立地。
廃棄物埋立地を囲む高い壁は景観をさえぎってしまった。やがてこの道路は新川を横断するはずで、4車線拡幅も予定されている。新川より南の海岸にはシロヨモギは見あたらない。この道路に隣接して産業廃棄物の不燃ゴミ埋立地が進行している。今年5月まではこのゴミ埋立地の場所にも多数生育していたが、今は消滅した。その5mほど先にはあとわずかに残るシロヨモギが生育している(写真2)。
写真2
ゴミ埋立地の最前線付近で生育するシロヨモギ(矢印)。高い壁にさえぎられて見えないが、ゴミ埋立地に隣接して、いったいなにを燃やしているのか、あやしげな煙突が見える(写真3)。とてもダイオキシン対策が施されているようには思えない。煙が強い西風にあおられて松林にたなびいている。その壁ぎわには、ナスやトマトなどの野菜が栽培されており、ダイオキシンの影響を観察しているように見える。食用なのだろうか。まさか!
写真3
わずかに生き残っているシロヨモギ(矢印)は、
埋立地の進行によって消滅の危機にある。シロヨモギの消滅は人間の生活に無関係だが、砂丘を超えて佐渡島が見えるこの景観は、いったい誰のものか?廃棄物処理業者だけの所有物ではないはずだ。県が名づけた「日本海夕日ライン」は、いこいの場所として「砂山」の歌で親しまれた新潟砂丘のすばらしい景観を、みんなで保全する目的ではないか、と私は思っていた。雄大な砂丘に向かってグミ原を分け入れば、チガヤの白い綿毛が空にまいあがり、さまざまな海岸植物群落が展開する。背景には佐渡の島影に赤い夕日が沈む。この景観は目に焼き付くようだ。シロヨモギはこの景観保全の象徴の一つである。シロヨモギは単体で生育するのではなく、ハマエンドウ、ハマヒルガオ、ハマニガナ、スナビキソウ、ハマボッスなど美しい花が咲く、多くの海岸植物と共存している。これらの海岸の景観を踏みにじって、廃車の山が作られ(写真4)、さらには廃棄物を地下に埋め、それでも足らずに、高々と塀を建てて視界をさえぎり、新たなゴミ捨て場がさらに作られようとしている(写真5)。その内部には、おぞましいものが積み上げられることになる。もうすぐ、佐渡に沈む夕日は見られなくなる。波打ち際に、うず高くテトラポッドが積み上げられている。真夏の海岸には多くの車が砂丘に侵入して草花を踏み荒す。7月に入って、道路沿いには、草をはぎ取って広々とした駐車場が作られた。道路の陸側には高さ2メートルほどの砂防堤が建設中である。その上にはクロマツが植えられるのだろう。風で砂が巻き上げられる駐車場と、風と砂を防ぐ砂防堤の建設は明らかに矛盾している。
写真4
うず高く積み上げられた廃車の山。これが「日本海夕日ライン」の実態。
写真5
柱を立てて壁を築き、また新たに廃棄物埋立地が増設される。
右端(矢印)には焼却用煙突が立つ。
私は実験的にシロヨモギを庭で栽培してみた。砂嵐、寒風、真夏の乾燥と高温などの厳しい環境に耐えて生育するので、栽培は容易かと思ったが、家陰や庭木の多い場所では強い直射日光があまり当たらず、いくら水やりに気をつけていても数ヵ月で元気を失って消滅してしまった。シロヨモギにとって松林はもっとも危険な存在に違いない。強風と砂嵐を防ぐためには松林は必要だ。毎年冬季には、道路は移動するおびただしい砂に埋められ、除去作業は雪深い地域の除雪作業に匹敵する、まるで「砂の産出国」だ。おそらく人間の住みやすい環境とシロヨモギの生育条件とは一致しない。しかし、「いこいの場としての海岸の景観」を、「人間」と「シロヨモギを含む多くの海岸植物群」とは共有できるはずではないか。ゴミ捨て場のそばに「海をきれいに」、「だれかがこまっている」と書かれた看板が立てられている(写真6)。その前を、荷台には山のようにゴミを積み上げたダンプカーが通過する。看板は五十嵐中学校生徒の作品だが、これを立てた子供たちの心は深く傷ついているに違いない。国道沿いには、ある政治家署名の「美しき入日の道」と題する高さ3mもあるりっぱな石碑が立っていたが、私は「道は美しくない」と思う。「砂山」の歌はどこの世界のことか!もうすぐ、ゴミの山に沈む夕日が「日本海夕日ライン」と呼ばれるようになる!そんな「日本海ゴミライン」を見るのは耐え難い。
写真6
廃棄物埋立地わきに立てられた五十嵐中学校生徒の看板。
子供たちの悲しい叫び声が聞こえてくるようだ。