景観保全と多自然型河川  白崎 仁



 最近、景観保全の考えが深く浸透してきたのか、土木工事において多自然型河川工法を採用した河川の防災工事が進められている所がある。自然の多様性の保全が、人の生活環境に好適であり、その必要性が高く評価されている結果なのかもしれない。しかし、実際の工事方法、災害の原因、工事の必要性を観察すると、それらの工事がほんとうに適切なものかどうか、疑問に思うところがあるので、それらの実態を紹介し、景観保全にとってより適切な方針を提案したいと考えている。
 新潟県北部では1998年の夏(8月4日)に集中豪雨のため、大きな被害が発生した。昨年(1999年)、五頭山麓でその災害復旧と防災工事が行われている現場を訪れた。下流の水田地帯を流れる河川沿いに大きな石が流れ出し、それを除去し、堤防を再建していた。水害は下流に大きく影響を及ぼすが、一般的に、河川の災害は上流が原因で発生する。
 五頭山麓西部の、北から順に新発田市田家荒川川(剣龍峡)、笹神村折居川、畑江大荒川(魚止めの滝)、村杉安野川(旧五頭スキー場)などの河川がある。これらの上流には多くの砂防ダムが作られている。その工事は、最近始まったものもあれば、水害以前から継続的に行われているものもある(写真1)。その工法の多くは従来型のもので、いわゆる多自然型ではない。巨大なコンクリートをベースにした階段状の構造物である(写真2)。集落の上流で、土石流に対する防災工事として建設されている。その工法の是非はここでは大きな問題ではない。多自然をある程度意識してか、丸石をつめた鉄の篭(蛇篭)で護岸した場所もある(写真3)。私は土木工事の専門でないので、これらが山や森林の景観保全にどのくらい効果が発揮されるかはよくわからないが、コンクリートの壁よりも魚たちにとっては住みやすそうだ。それより大きな問題は、これらの工事がなぜ必要なのか?という点にある。工事現場のさらに上部はいったいどうなっているのだろうか?荒川川の上流には、山を越えて加治川の方まで林道が建設されている。林道周辺は広範囲に伐採された跡がある。伐採跡地にはスギ苗が植えられている(写真4)。折居川では、営林署の山火事防止の看板が、責任の所在を示すように立っている。

写真1
砂防ダム工事と伐採されたサワグルミの巨木
(新発田市荒川川)
写真2
数段の砂防ダムと伐採されたサワグルミ
(新発田市荒川川)
写真3
蛇篭で護岸された砂防ダム
(新発田市荒川川)
写真4
広範囲に伐採された後のスギ植林と営林署の山火事防止の看板
(笹神村折居川)

 人の生活域の河川は、昔から貴重な水源であり、森林はそれを維持するために不可欠なものではないか? 林道工事、森林伐採、砂防ダム工事、水害(土石流)、災害復旧工事などには、密接な関連性が推察できる。これらの様相は、この4つの河川に共通する。「新潟県のすぐれた自然」に紹介されている剣龍峡には、上流のダム工事現場から泥水が流れ込んでくる。魚止めの滝は建設中の数段の砂防ダムのために鑑賞に耐えない。五頭スキー場は廃止されたが、裸地化した場所の崩壊が進み。土石流のため登山道に続く橋は壊れて危険な状態だった。それは最近再建された。この地域の住民の暮らしを守るのに、砂防ダム工事が真っ先に連想されるとしたら、おそらく古代からこの地域は人が住めない場所だっただろう。
 ところで、多様性の保全にどのような価値・意義があるか、人によってさまざまな価値観があるだろうが、それらはまとめると、次のようである。

  1. 消費的な資源価値−−−−食料,燃料,薬用,園芸用,遺伝子など直接的な利用.
  2. 非消費的な資源価値−−−安全な生活基盤の維持,鑑賞やレクリエーション目的の自然公園などの利用.
  3. 倫理的価値−−−−−−−豊かで貴重な自然の存在感,失うことに対する危機感.

 これらの価値の中には、もちろん貴重な種(絶滅危惧種)の保全の思想が含まれているが、それだけでなく、景観の構成要素として豊富に存在するものを守る意味も当然含まれている。倫理的価値は、自然のしくみを研究したいと願う気持ちにつながる。しかし、現代は、自然のしくみがすべて解明されてから保全を進める時間的余裕はないので、実際には保全を優先して実行し、その上で自然のしくみを調べることになる。私は、これらの価値を強く認識する人達が、土木工事において多自然型河川工法を採用しているものと思いたい。
 これらの思想を背景にして、再び、現実の自然のすがたを観察すると、多自然型河川とはいったいどんなものか、よくわかる。豊浦町月岡の集落の近くを流れる荒川の土手を歩くと、土手の側面はコンクリートで護岸されているが、水の流れる場所はヨシ、マコモが繁茂し、ゆるやかに蛇行している。水深はおよそ30センチで、この川が大洪水になったとは信じられないが、この地点から2キロほど下流の水田では土手の復旧工事が行われている。水の中を見ると、多数の小魚が泳いでいる。この構造は、土手から緩い斜面がのびて、さらに一段低い場所に土が堆積し、その周辺に湿生植物が繁り、蛇行した細い水の流れがある(写真5・写真6)。集落から離れた所では、川沿いに高木のオニグルミやシロヤナギ、林床にチマキザサやタニウツギなどの低木が生育している。ここの河川すべてにこのような景観が続くわけではないが、人の暮らしと河川の配置、川の景観や動植物の生態環境は、安定した多自然の要素を満たしているように見える。欲を言うならば、川幅が現在の3倍ほど確保できれば、多自然の河川として適した条件を十分満たしているだろう。土手の傾斜が緩い場所は、水深がいっそう浅く、人と川との距離がいっそう身近なものとなり、子供たちにも比較的危険の少ない遊び場として自然の恵みを提供できる(写真7)。しかし、実際には、そのような場所は少なく、急傾斜で川幅が狭く、人の背丈を越えるヨシやマコモが密生して、人は近寄らない。土手に立てられた無粋な看板は、たしかに危険な場所を示している(写真8)。この付近では、多自然型河川として好適な条件、すなわち、広い川幅、緩い傾斜の土手、浅い水深と蛇行、適度な草本や樹木の植生配置と水生動物、および集落からあまり離れていないこと、などがそろっている。これらの組み合わせをうまく進めれば、おそらく景観保全と多自然型河川の目的は達成されると考える。

写真5
コンクリートで護岸されて川幅が狭く、
穏やかに蛇行して流れる水
(月岡小烏川)
写真6
水際にはマコモがわずかに生育し、
水中には小魚の姿が多く見られる
(月岡小烏川)
写真7
水深が浅く、遊んでも危険の少ない水辺と低木のヤナギ類
(月岡荒川)
写真8
急傾斜で草丈の高いヨシやマコモに覆われている川。
キケン遊ぶな、と書いてあるが、入り込む気持ちにならない
(月岡荒川)

 ところが、多自然型河川工法を用いて災害対策の土木工事が行われているという現場には、強い衝撃を受けて目を疑った。巨大なショベルカーが堤防を再建している。かつて存在しただろう生物はすべて失われ、直線的な川筋だけが作られている(写真9)。草丈の高いヨシやマコモは、人にとってはじゃまものだが、岸辺を覆う植生は、オオヨシキリやほかの多くの水鳥、水生動物にとっては大切な生活の場所であり、水質の浄化に大きな役割を果たすとされている(写真10)。ここが多自然型河川を実行する場所とは、私のかってな思い過ごしだったのかもしれない。しかし、高度の知識をもって計画をたてる人達は、豊富にあるものの大切さ、多様性の保全の価値を、もっとよく理解すべきではないだろうか。
 私は、原因はどうあれ、災害対策の必要性は十分認識している。しかし、もし私が多自然型の河川を目指すならば、このようなことはしない。私は、農政にも土木の技術にも疎いので、無責任な考えではあるが、最大水量に適した川幅を計算して、今ある土手には手を触れず、川岸の両側にかなり離れた堤防を築くようにしたらどうか。農家が土地を手放すのは忍びがたいだろうが、減反政策に苦しむ農家にとってそれほど悪い話ではあるまい。もし農業を希望すれば、水害のリスクを覚悟しながら、その堤防の内側で耕作してもいいではないか。百年に一度の水害ならば、大きなリスクに感じられないかもしれない。工事費は高くつくかもしれないが、「ゼロから多自然型を目指す」景観保全は、目的を見失っており、私には理解できない。
 根本的には、水害の発生源となる山の森林の復元に努力すべきだろう。保水性が悪いスギ植林をやめて、防災のために落葉樹の森を育てる必要がある。それには百年以上の時間が必要だ。将来のスギの経済的価値は期待できない。しかし、防災のための景観保全こそ百年先でも価値が高い。大きなリスクをもたらした森林伐採のツケは、いったい誰が払うのだろうか。「あとの祭り」と笑ってはならない。自然環境の保全と防災に対する総合的な方針転換を期待する。

写真9
全ての生物が失なわれた多自然型河川工法の現場
(月岡荒川)
写真10
草丈の高いヨシやマコモのために、
人の立ち入りは難しいが、多くの生物の生活場所
(月岡荒川)


参考資料
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