山道を切り開くことの意味  白崎 仁



 今年(2001年),山道を切り開くことについて,まったく逆の意識をもって見た場所があるので,その意味を,読者のみなさんといっしょに考えてみたい。

 第一は,8月初旬に群馬県水上町と新潟県湯沢町の境界地域にある蓬峠の道を歩いた時のことである。新潟県側の登山道はよく道刈りされて歩きやすく,所々に水場もあって急な登りに汗をかきながらも比較的快適に蓬峠の山小屋までたどりつくことができた。道のわきには,何カ所か草刈機のための燃料が入ったペットボトルが置かれていて,今後も道刈り作業が続けられると推察できた。山小屋の管理人は私たちを部屋に向かい入れてくれて,親切なもてなしをいただいた。草刈が実にていねいで,非常によく整備されていると感想を伝えて,その苦労と登山者に対する温かい配慮に感謝した。休憩後,南の大源太山方面まで散策することにした。尾根一帯はチマキザサの草原で,まるで広大なササの海のような景観が続き(写真1),尾根沿いの一筋の道には,キオン,ミヤマアキノキリンソウ,ハクサンボウフウ,ヒトツバヨモギ,タテヤマウツボグサ,ミヤマクルマバナ,ハクサンフウロ,エゾシオガマ,アカモノなど多くの草花が生育している(写真2)。この道を進んで,足拍子山との分岐点まで来たが,それから先の大源太山方面はササが密生していて足もとが見えず,踏み跡のスジしかないササの海をかき分けて,はるかかなたの七ツ小屋山まで進む元気が無くなった(写真3)。この分岐点の柱には,「大源太山〜茂倉岳の縦走ルートは,植生保護の為,刈払を秋に行います。ご理解,ご協力をお願いします。湯沢町」と表示されている。
「植生保護の為とは,なるほど,ごもっともな」だが,最近は考え方がひねくれてきたので,「もしかして,湯沢町は予算がなくて,道刈りしない上手な言い訳をしてるんじゃないか?どう見ても何年もササが刈り払われた跡がない」などと邪推を巡らした。資金の問題かどうか実際はわからないが,「植生保護の為」は「なんの植生?」か,首をかしげる。この尾根のササの海は,放置すれば完全にチマキザサが優占し,ほかの草花を圧倒してしまう.逆に見れば,ササを抑制すれば上述のような植物が道沿いに繁茂できるのだろう。人が作り出した一筋の花園を「保護」の対象とすべきかどうかの判断は難しいが,花園を「保全」するためにはササの抑制が必要ということになる。道刈りは,人と自然との好ましい相互関係だと思うが,みなさんはいかがか。

写真1
チマキザサの海を泳ぐようにかき分けて進む。
前方(北)には七ツ小屋山の山頂が見える。(2001年8月)
写真2
道沿いにはチマキザサに圧迫されるようにミヤマアキノキリンソウ,
ハクサンボウフウ,ヒトツバヨモギなどが咲く。(2001年8月)
写真3
七ツ小屋山の尾根すじを背にして,ササに隠れた道を
確かめながら蓬峠小屋に向かう。(2001年8月)

 第二は,9月中旬に訪れた入広瀬村エコミュージアムである。今年7月,開設された県立の自然教育施設の一つである。場所は浅草岳の山麓北部の海抜750mほどで,五味沢集落から4キロほど離れた孤立した山中の展示施設である。昨年,ある教材会社から,この施設内に展示するものを”監修”してほしい,と要望があった。できない,といったんは断ったが,「写真をみてもらうだけでも」と言われたので,多少の意見を述べておいたら,夏に開設の案内状がとどいた。その時は用事があって欠席した。気になっていたので近くを通った機会に立ち寄ってみた。
 館内の展示はりっぱなもので,ブナの巨木の輪切りが中央に立っていた。まさか,と思ってたたいたら,軽い音がする。なるほど見かけだけか。コケみたいな緑色のくずが着いていた。スピーカーから野鳥の鳴き声が出る。ぬいぐるみのウサギ,ムササビ,リスなどがいっぱいならぶ(剥製でないのでかわいい)。建物を中心にして林の散策道がついている。「森の自然を大切に・・・・」よくある掲示板がここにもある。「バリヤフリー」木道は幅1.5mほど,平坦な歩きやすいところを選んで設置されている(写真4)。やや急な道には木クズがしきつめられていてやわらかい。行き止まりの場所に伐採された木が積み上げられている(写真5)。やせブナの林(どうみても二次林)を通り抜けると,ヤチダモが一本立つ湿原がある。タチアザミが咲いている.ミズバショウと書いてある札もあるが,そこらには見あたらない。しばらく進むと,二・三株出てきた。このほか,多くの植物の札が立っている。りっぱな野鳥の観察小屋もある。小屋の周りの林の低木類は刈り払われており,数種類の野鳥の名札がある。”広場”も作られていて,全体を一周するのに1時間ほど。まだ奥にも道は続くらしいが,これくらいで遠慮して展示館までもどった。「バリヤフリー」がよいかどうか,判断に迷うところだが,かなり広い面積にわたって遊歩道が林内を蛇行しているので,さまざまな植物や昆虫が観察できる(写真6)。この施設をみれば,新潟県の財政が豊かな証拠のようで,最近の緊縮財政のニュースとは逆な印象を受けた。
 自然教育は大切な課題で,将来をになう若者には,ここをぜひ訪れて活用してほしい施設の一つと思うが,立地条件について,私は逆な考えをいだいた。休日に1時間ほど歩いたが,ここで出会った人は,館内にいる職員3名だけ。作業中の一人に話をうかがうと,今日は小学生の団体が見学にくるそうで,やや安心した。この施設が,町の真ん中にあったらどれほど多くの人が喜んで訪れることだろう。この場所の過去の状態はわからないが,炭焼き跡があるらしいので,炭焼きが途絶えた後に回復してきたブナの二次林を再び切り開いたように推察される。「自然の楽しさがギュッと詰まった入広瀬村・・・」,「守門岳と浅草岳はブナ林,群生する高山植物など変化に富んだ景観が魅力・・・」(観光パンフレットにはこのように表現されている)。それらの山を目前にして,自然のモデルを「施設」で学ばせる必要があるのだろうか。電力会社の財政難で中止に追い込まれた「佐梨川の揚水発電計画」は,この地域における「自然保護」にとって朗報である。自然教育のために税金を投入するなら,もっと自然を守る心が育つような立地「自然を育てる必要な場所」に作るべきではないか。「無残な破壊」を見学して,その大切さを実感させる施設ではあるまい。破間川ダムにかかる橋から展望すると,そのダムの底に失われた自然の大切さが身にしみる。

写真4
深く掘り下げて,バリヤフリーにした遊歩道と
入広瀬村エコミュージアム。(2001年9月)
写真5
やせブナの林を通る遊歩道には木クズがしきつめられていて,
伐採された木が積み上げられている。(2001年9月)
写真6
りっぱなバリヤフリー遊歩道が,アブラガヤと
ヨシの湿地を蛇行して通る。(2001年9月)

 蛇足ながら,この表題に関連する第三の報告をしたい。本誌1998年10月の第23・24号(合冊)に,掲載された「書評:傷だらけの百名山」の中で,1984年に黒川村北股岳のハイマツ尾根が伐採された記事についての続報である。掲載の時間はちょっと矛盾するが,1998年7月に同現場を通過した。写真のように,ハイマツの尾根道は広く定着し,足場もしっかりしている(写真7)。旧道はどうか,とのぞいてみると,通行禁止の札があり,縄張りしてある。昔(1984年)は尾根道伐採の意図を理解しかねたが,今回わかった。おそらく,ニッコウキスゲ,ヨツバシオガマ,ハクサンボウフウなどの湿性植物の草原を踏み荒らすのを避けるために尾根すじに道を移動させたものと推察される(写真8)。「ハイマツが大事か,草原が大事か?」という価値判断に迫られるが,この選択は正しいのだろうか?最初に述べた「植生保護:チマキザサが大切か,道の草花が大切か?」と同じようなものか?それぞれの群落成立の条件が異なるので同一視はできないが,現場写真を見るとある程度は推察可能である。1984年から15年経過しても,通行止めにした効果は現れていない。ニッコウキスゲの草原は回復していないのだ。これではハイマツを伐採したことによる「二重の罪」を犯したことになる。ハイマツの回復には100年単位の時間がかかるので,数年で優占するササとは事情が別だ。保護が「絶対」なら,草原を通過する道もハイマツの尾根道も作ってはいけない。それでは「人と自然は共存できない」ので,やむを得ずニッコウキスゲの草原を「細長く縄張りしてはみださずに通る」ことを選択すべきだった。つまり,尾根道伐採の価値判断は,明らかにあやまりである。失われた自然を回復するには人の一生では計れない,長い時間が必要のようだ。

注:”「保護」と「保全」はしばしば対比される概念である。前者は囲い込んで手をくわえないことそのものに主眼がある。人間の意図的な手をまったく加えない自然を基本として保護することが主たる目的である。後者はある目的のために自然,あるいは再生可能資源が持続しうるように保つことと定義される。”  つまり,「保護」は,縄張りして人の立ち入りを制限すること,「保全」は現状か,または人が目的とする状態を維持するために手を加えること,というように区別される。

写真7
伐採されて約15年が経過したハイマツ尾根の道。遠方(南)に門内岳
の山頂が見える。写真左側の斜面に旧道がある。(1998年7月)
写真8
湿性植物の草原を通る旧道の植生は回復していない。尾根すじにハイマツ
尾根の道が通る。写真右上(北)に地神山が見える。(1998年7月)


参考文献
目次に戻る
ホームに戻る