湯沢町三俣「清津川ダム予定地」の景観保全
  白崎 仁・柄澤英理子



 湯沢町三俣地区は、清津川ダムの建設によって水没する運命にあるが、はたしてそれが、どのような意義を持つのか、考えてみた。新聞やニュースなどでしばしば取上げられ、構造改革や政治・経済などの問題が複雑にからんでいるが、ここでは主に自然景観とこの地域の生活の面に視点を向けることにしたい。

 国道17号線ぞいの集落は、昔から三国街道の交通の要所として発展し、集落はその宿場だった。現在は民宿を営むところが多い。周囲の山はスギ植林地とブナの二次林で、清津川の河川敷は主にオオバヤナギ林である。農地は集落周辺に点在するが、海抜600mほどで寒冷な気候が続けば稲作は不順である。そのため主に自給の野菜を栽培する程度である。カモシカ、サル、キツネ、ウサギなど野生動物はしばしば集落近くまで来るが、農業が生の主体でないので、これらの動物による被害はあまり聞かれない。それは野生動物が定着できる森林資源の豊富なことを裏づけているのかもしれない。日中でもあまり歩行者を見かけない静かな田舎である(写真1)。

写真1
屋根に1mほどの雪が積もる閑静な三俣地区の民宿街。(2001.3)

この状況は経済発展とは無縁のように思われるが、冬季にはこの風景は一変して、都会から多数のスキー客が押し寄せてにぎわうことになる。しかし、最近は景気低迷の影響によって長期滞在客は少なく、地域全体の収益は昔ほどではないらしい。年間を通した地域の活性化をねらって、スキー場やトレッキングコースの整備、温泉開発などさまざまな努力が続いている。最近は百名山ブームに誘われて、谷川連峰や苗場山には多数のハイカーが訪れる。この地域の活性化努力が実を結ぶことを祈っているが、もともと爆発的な効果を期待されているとは思わない。昔は大にぎわいだったわけではなく、言わば少数精鋭のように安定した静かな生活を続けてきた地域にちがいない。「活気がない」のはマイナスイメージのようだが、本当は「静かな田舎」こそ都会人のあこがれの的であり、その価値を認める大勢のファンがいる。

 清津川河川敷のヤナギ林を、四季を通して眺めてみた。密生するオオバヤナギの樹齢は10〜20年程度で、水量の変化による川床の撹乱がおこるため巨木林はできない。早春の雪解け時期にはヤナギの芽吹きが目にしみるようだ(写真2)。春の川の水量は多いが(写真3)、夏から秋には比較的少ない(写真4)。稀に集中豪雨が発生すれば大きな石が上流から大量に運ばれてくる。石はその下流の清津峡をより深く刻むことになる。河川敷の林はこの繰り返しの中で成立しているが、このような不安定な林は、おびただしい砂防ダム建設のために、県内にはほとんど残っていない。最近は、貯水ダムを作ればすぐに土砂で埋まるのでその上流に次々に砂防ダムを建設する。限りなく上流まで砂防ダムを作って、結局は山頂近くに至るばかげた工事が行われているところもある。一つの工事がおよぼす影響は、防災の名のもとに正当化されて破壊は増大する。ブナの原生林は価値が高いが、不安定で貧弱な林は価値が低い、というのが社会の通念である。これは一面では正しいが、地域の景観保全の面ではこの認識は通らない。近年、里山の価値が重要視されており、人の積極的な関与が地域の景観を維持し、生活の面で自然環境を活用することが求められている。河川敷の安定化は上流の景観バランスを壊し、人の関与・利用価値を阻害することになる。

写真2
三俣からながめる清津川と河川敷のオオバヤナギ林の芽生え。(2001.4)
写真3
雪解け水が流れる清津川と新緑のオオバヤナギ林。(2001.6)
写真4
水量の減った清津川とオオバヤナギ林とススキの花。(2001.10)

 川の上流地域の改変は下流に最も大きな影響を与える。森林の伐採と清津川支流の釜川にある名勝七ツ釜滝の崩壊については、以前に指摘した(1998年発行の本誌23・24合併号:10〜12)。清津峡の八木沢口から下流に向けてトレッキングコースが整備されており、渓谷にはうっそうとしたトチノキ・サワグルミ林が成立し ている。ダム予定地付近の林には地盤調査のため数カ所の穴が掘られている(写真5)。ダムができればこれらの原生林は伐採されたり水没するので、トレッキングの価値は失われる。新潟海岸の侵食と上流から運ばれる土砂の減少の関係は古くから知られている事実であり、信濃川を遡上するサケの数量は、その水質と水量に大きく影 響されることも最近の調査で指摘されている。新潟県内の主なダムは、計画中のダムを含めておよそ30箇所が存在する。水害対策と海岸侵食の防止には莫大な資金が必要となる。これほど多くのダムが作られるのは国や県の財政が豊かな証拠だろうか。災害を完全に消滅させる力は、もともと人間に備わったものではあるまい。天災となっ たらやむをえないが、川の下流の災害の責任をどこかに求めるとすれば、当然上流に原因があると考える。その災害防止をダムという構造物で解決するのはあまりに短絡的ではないか。まして地域活性化のために必要などとは言うべきではない。なぜなら、ダムができればその場所はすべて無人と化すのだから。

写真5
地盤調査の穴が掘られた清津峡八木沢口のブナ林。
機材はシートで覆われ、ネットで目隠し。(2001.8)

 最近、「海の資源は森が育てる」という意識が高まっている。川はその通路としてだけでなく、水質浄化、漁業資源、景観保全や、アウトドアレジャーなどの場所として多くの役割をになっている。ダムはこれらの機能を消滅させる。すべてのダムが悪いとは言わないが、十分すぎるほどそれらに資金を注ぎ込んできたのだから、さらに余剰な資金があるならば、それを森の資源育成に投入することもできる。裸地化した道路やスキー場周辺に広大なブナの森を育成しても、建設業の大きな振興には結びつかないだろう。しかし、それは後世の財産として大きな価値を生む。すなわち、木材、山菜、キノコなどの森林資源、都会の訪問客に歓迎される景観の保全や、下流の災害防止にもある程度の機能を果たす。

 昨年、北魚沼郡入広瀬村破間川ダムを観察した。水量が低下していたので、橋の上からダム全体がよく見渡せる。夏草が繁るが、水が貯まればいずれ消滅する。緑豊かな森にかこまれた広大なダムの底に沈んだ、失われた世界が現実となる(写真6)。地域の景観は、人の活動と自然の調和を表すが、そこには人の活動実態が失われてい て、自然の美しさも感じられない。人は水辺にも近づけないので観光資源としての価値もない。三俣もいずれこんな姿になるのだろうか。背筋の寒い思いがする。

写真6
夏草の繁る北魚沼郡入広瀬村破間川ダムの底。(2001.9)

 自然を改変する大きな構造物を作る場合には、詳しい影響調査が行われる。その場合には地域の生活と自然との密接な関連性や将来の発展性なども考慮されているに違いない。もちろん貴重な生物の調査も進められているらしい。しかし、自然環境保全の立場から、この場所における景観の重要性については、あまり論議されていない。貴重な生物が存在しないから価値が低い、あるいは影響は少ないと主張する立場は、日本各地における大規模建設事業にともなう環境破壊を憂慮する意見に対して、火中に油をそそぐ結果になっている。清津川ダムによって水没するごく狭い範囲だけに影響の調査が行われているが、三俣から上流の清津川一帯やその周辺の山岳部をどのように保全・活用し、下流に対する災害を防ぐ複数の手段も視野にいれるべきではないか。観光・農業・漁業などに対する悪影響も当然考えるべきである。住民は目ざましい発展を望んでいない。この地域の住民の生計についても十分考慮する必要がある。新緑の美しさや、みごとな秋の紅葉は、この地を訪れる人に大きな感動を与えている。それはこの地域の住民と自然との長い歴史の上に実現している姿であり、「静かな田舎」の景観の価値をもっとも大切にしている証拠である。(文・写真:白崎)


参考文献
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