小佐渡は、30年ほど前までは、道路幅が狭く、複雑に曲がって傾斜が大きいため、大型車では通行が不自由な場所が多かった。最近では、山の中にネット状に道路が作られ、幅の広い直線道路が山地を横断して、隣町にも比較的短時間にいける便利な環境になってきた。環境省は、トキの野生化を目標として、自然と共生した地域社会づくりを目指す「バイオリージョン」モデル事業の構想を明らかにした。無農薬農業の普及や棚田、森林の復元事業を展開するという(毎日新聞1999年6月13日)。近ごろ、里地里山保全の思想が広まり、人の積極的な管理によって、より良い生活環境を作り上げる運動が活発化してきた。環境省の姿勢は、この運動と密接な関連性がある(朝日新聞2002年9月29日)。飼育トキの野生化を目的とするが、実際には島全体の自然環境を良くすることにつながる。そこで私は、佐渡島内、特に小佐渡に注目して、盛んに進められている土木工事の進め方と環境保全の姿勢が矛盾しないかどうかを考えてみた。
佐渡は、離島のため高速道路の建設による環境破壊の心配はないが、島の経済を支える観光事業とは無関係に林道や農道工事が進められている。また、住み良い地域を支える目的で、佐渡一周の県道工事が進められており、その海沿いでも護岸工事が頻繁に行われている。護岸や一周道はいずれ観光事業とむすびついて、島を訪れる人へのサービスに貢献すると推察される。ほかにも、既設道路の舗装、農地整備、地滑り対策などの工事も多数行われている。
1920年から5年ごとの国勢調査によれば、佐渡の人口は、1950年の12600人をピークにしてしだいに減少し、この傾向が続けば今から約30年後には、2000年の人口72000人の約50%:33500人ほどになると推定される。道路は上述のようにネットワークができても、実際に通行利用する人は今より半分に減少することになる。そのぶん現在の社会資産が後世に大きな恩恵になるかもしれないが、自然の景観保全にどのような悪影響をもたらすかは、現状から一目瞭然である。ほとんど人通りのない道路が作られて、その道路沿いには外来種のイタチハギやどこから移入されたかわからないヨモギの仲間が散布されている(写真1)。急傾斜地を無理に切り開いたのか、土砂が流出して通行が危険な林道もある(写真2)。その近くに「当分の間通行止め」という立て看板が立つ。「当分の間」修復の予算がない、という気持ちがこめられているようだが、経塚山の上には別な方向から上れるので、もともと通行に必要性が高い場所とは思えない。これも「作ることに意義がある」工事に違いない。災害復旧の名のもとに予算がつけば、工事関係者にとって二重の幸いである。山頂付近から展望すると、小佐渡の半分ほどが目に入る。林の位置が悪くて写真には入らないが、編み目状の道路が切り開かれて、ところどころに崩れた斜面が見える(写真3)。これらの道路には膨大な資金が注ぎ込まれたにちがいない。工事が先か崩れたのが先かはわからないが、いずれにしても住居がほとんどない、通行する人もいないので、災害発生とは認められないのではあるまいか。
写真1 人通りがほとんどない山道だが、舗装されて、斜面にはイタチハギとヨモギの仲間が吹き付けられている
(両津市 2001.8.26)写真2 砂利道の斜面は、崩壊を止めるためのコンクリート壁が露出し車は通行止。しかし、この先には別な道からの車道が接続しているので、山頂までは簡単に上れる
(真野町経塚山2002.8.24)写真3 山頂付近から南方に見える羽茂町。編み目状に作られた道はアカマツやコナラなどの木々にかくれて見通せないが、山の斜面が崩壊している
(真野町経塚山 2002.8.24)
便利な道ができた反面、徒歩の山道は消滅した。森の中で鳥の声を聞き、野生の草花をさがすフィールドウオッチングが大好きな私にとって、幅の広い舗装道路を歩くのは苦痛だが、住民にとっては便利な道があれば、古い道は必要なくて当然廃道になるのはやむをえない。しかし、便利さをもとめながらも全く景観保全に無関心では、トキの野生化を目指す同じ島民の活動とは考え方が一致しない。島の重要産業の観光事業とも矛盾する。
昨年5月21日、NHK「クローズアップ現代」で、放置されたモウソウチク林の拡大問題が放映された。輸入タケノコの増加と国内産のタケノコ価格の低下によって竹林が放棄され、1978年以降7年間にその面積は約1.4倍拡大した(井鷺 1993、鳥居・井鷺 1994)。竹分化振興協会(京都)によれば、モウソウチク林の拡大被害は、竹林には責任はなく、被害を受けている農地管理者が竹の侵入を阻止できないことに問題があるという。モウソウチクの拡大は自然現象で、植物に責任がないことは理解できる。しかし、竹林の所有者に責任があるのは当然である。責任の所在を主張しあっても、竹の被害を改善するてがかりにはならない。静岡県環境保全部によれば、管理の良い竹の適正な密度は250本/10aとされるが、畑野町のここでは少なくとも1m×1mに5本程度、つまり、5000本/10a、すなわち適正密度の20倍となる(写真4)。これでは毎年のタケノコさえ出る余裕はほとんどない老竹ばかりである。とてもこの現状を肯定することはできまい。
モウソウチクの被害とはどんなものか?
- 密生する竹林は人の活動を阻害する(写真4)。
- モウソウチク林の拡大によって、農地や里山の落葉樹林だけでなく、常緑樹のタブノキやスギ林なども破壊されて、地域特有の景観を損なう(写真5)。
- 植生の破壊は、その植生に依存するあらゆる生物を排除して、その多様性を失わせる。
- 竹林の林床のCO2発生量はスギやヒノキの森林に比べて著しく高く、有機物はすみやかに分解されて土壌が薄く(井鷺 1990)、低木や草本類が生育しないため急斜面では保水性がなくて地盤が不安定である(高知新聞 2002年08月02日)(写真6)。
写真4 人が通り抜けることも難しい密生したモウソウチク林。撮影できるほど日光がさす竹林は少ない。住宅地のそばだが、タケノコを収穫することさえ困難。若い竹はほとんど出ないのだろう
(畑野町 2002.8.25)写真5 上層のタブノキ林の側面から侵入するモウソウチク林。住宅地付近の山は利用されなくなって大きな常緑樹林になっているところが多いが、数年後には竹林がタブノキを圧倒することだろう
(羽茂町 2001.8.25)写真6 常緑のシロダモやヤブツバキを押しのける、暗いモウソウチク林。道路沿いを開いてサクラの苗木を植えているが、花が咲くまでに竹の侵入を防げるか。竹林の下層には小さなタケ以外に低木や草本は生育していない
(両津市 2001.8.26)
問題点を整理すると、つぎの三つである。
- もっとも重要な点は、トキの残存に象徴されるように、これまでは豊かな自然景観が存在していたことである。それは人の活動と密接な関連性をもっており、いわゆる里山の自然を活用する生活形態によって維持されてきた。
- つぎに、過疎化とそれに逆行する無意味な土木工事が自然景観を大きく破壊している。
- 急激な過疎化によって、森林・竹林・農地の管理が衰退して、自然景観が損なわれている。
環境省の「バイオリージョン」構想は、無意味な土木工事の継続と、急激な過疎化によって、トキを野に放っても人の生活していない、道路ばかりで豊かな自然の失われた島を目前にして頓挫することになるかもしれない。
魅力のある佐渡の自然を再生するためにはどうすればよいか?
日本各地域の試みを参考にして、次のような提案をしたい。
- 土木工事と同じ資金で、里山森林警備隊を組織して雇用を促し、山林を管理して、竹を適正な密度(250本/10a)に抑制する(静岡県環境保全部のホームページ)。
- 竹林を若返らせて、タケノコを生産する。健康食品としての価値は高い(日本農業新聞 2002年3月31日)。
- 伐採された竹の有効活用(京都:竹資源活用フォーラム、大阪:フードテックス社)、特に無農薬栽培用に竹酢・竹炭を利用する(岸本・池嶋 1999)。
- 竹炭を燃料にした陶器、シックハウス予防効果の高い建材(日本経済新聞 2001年5月2日、新潟日報 2001年11月16日、朝日新聞2002年7月9日)、水の浄化(東京:生活アートクラブ)、植物の成育促進剤(星 2001)、医薬品など(鹿児島県工業技術センター、広島:竹炭の館)として活用する。
これまでの出生数がすでに確定しているので、人口減少から増加に転じる可能性は少ないが、若者の雇用・定着にはある程度効果があると考える。「バイオリージョン」構想に多少のバックアップができることを期待しているが、将来バラ色の世界が実現するとは考えていない。道路工事は、有料道路でないかぎり収益向上には結びつかない。景観保全もそれと同じではなかろうか。ねらいは環境保全のための税金の有効利用だから、収益をあまり重要視してはいけない。人が少ないところで、投資効果が期待できる生産的な産業はもともと少ないが、佐渡の自然景観の保全は不良資産にはならず、トキやそれをとりまく自然を求めて訪れる人にとって大きな魅力を提供することになろう。健全な里山が維持されることは、「森が海を育てる」思想とも深く関連する。キャッチフレーズ「自然の魅力あふれる佐渡」は、海中だけの世界に適用されることにならないように望む。