本誌27号に北蒲原郡黒川村胎内峡のコケ植物を紹介した(白崎 2000)。それに続いて、今回は南魚沼郡六日町五十沢渓谷のコケ植物を取り上げる。この渓谷は、高速道路(小出IC)からのアクセスも便利で、春の山菜時期、夏のキャンプやハイキング、秋の紅葉見物(写真1)などの目的で、都会からの観光客が多く訪れており、ふもとの五十沢温泉とともに人気が高い。この川沿いは、裏巻機渓谷自然環境保全地域(新潟県*)に指定されている。
*注http://www.pref.niigata.jp/kankyou/a/hozen/2_12.html
写真1 |
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霧の中で紅葉する六日町五十沢渓谷。発電所取水口管理道路(遊歩道上道)(2002. Oct. 20). |
渓谷の南には日本百名山のひとつ巻機山(標高1961m)がそびえており、その地形はひじょうに険しい(写真2)。渓谷入り口付近のキャンプ場は広く平坦に整地されていて利用しやすく、川沿いの遊歩道は比較的上り下りのある下道(標高400〜500m)(写真3)と、発電所取水口管理のための比較的平坦な上道(標高約650m)が平行している。下道はサワグルミ・トチノキ、ブナ・ミズナラなどの森を蛇行しており、道の終点付近から上道に登ることができる。上道は険しい岩壁に沿って3キロほど上流のダム取水口まで続いている。
写真2 |
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雪渓の残る急峻な六日町五十沢渓谷。(1999. Jun. 24). |
写真3 |
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休憩所が建つ六日町五十沢渓谷の遊歩道下道の入り口と遠方の巻機山。(2003. May 18). |
この川沿いの岩場、森林、険しい岩壁と、これらを横切る所々の小谷などの微地形を反映して、キャンプ場から3キロほどの距離に多くの貴重なコケ植物が生育している。私の調査回数は少ないので、全体をまだ把握できないが、これまでに115種のコケ植物を記録している。その特徴をあげると次のようである。
- 急峻な岩壁(写真4)に生育する種:
- 蘚類のエビゴケ(白崎 1984)、クロツリバリゴケ、クロカワキゴケ、苔類のシロコオイゴケ、サンゴサキジロゴケ、キリシマゴケ(白崎 1996a)、タカネミゾゴケ。
- 湿生の種:
- 蘚類のナミカワスナゴケ、キダチミズゴケ、ホソバミズゴケ、コバノエゾシノブゴケ、ヒメウルシゴケ、ムラサキヒシャクゴケ(白崎 1990a, 1996a)、ムクムクゴケ(白崎 1990b, 1991)。
- 山岳や高山に限られる種:
- 蘚類のクロゴケ、ミヤマシッポゴケ、ミヤマイクビゴケ、コアミメギボウシゴケ(白崎 1996b)、タマキチリメンゴケ、フジハイゴケ、コセイタカスギゴケ、スギゴケ、コマトラノオゴケ、オクヤマシノブゴケ、エゾチョウチンゴケ(Shirasaki 1998) 、苔類のミヤマホラゴケモドキ、オヤコゴケ(白崎 1996a)、チャボミゾゴケ、カタウロコゴケ、イボカタウロコゴケ、オオヒシャクゴケ、キヒシャクゴケ。
- 稀少種:
- 蘚類のヒカリゴケ(新潟県内では苗場山と湯沢町三俣の標本記録がある)、苔類のフサアイバゴケ(新潟県内では八海山と谷川連峰仙之倉山の標本記録がある)。
写真4 |
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ロープをつけた急峻な岩壁に生育するたくさんのコケ植物。(1999. Jun. 24). |
これらのコケ植物は遊歩道沿いに比較的容易に観察できるが、自然環境保全地域に指定されている範囲は、遊歩道の上道を避けて、その下部の水辺付近に限られている。急峻な岩場では高木層の植生が少ないが、保全されるべき景観に遊歩道(上道)一帯が含まれていないのは不思議である。上述のほとんどのコケ植物はその保全地域をはずれている。背景なくして森林の保全はありえないので、ぜひその理由を知りたいと思う。
1999年春に初めてこの渓谷を調査した時には、谷の左岸沿いに細い山道があり、途中に発電所の取水口からの調整池が工事中で、その周辺はコナラ・ミズナラなどの森があった。その3年後の2002年秋には、「天竺の里」と名付けられて(写真5)、駐車場や山小屋ふうの休憩所まで建てられていた。「天竺の里」は当然、保全地域の範囲外である。以前あった森には階段や歩道なとが整備され(写真6)、谷には砂防ダムもあって、すっかり開発されていた(写真7)。林床の低木はほとんど伐採されて見通しがよくて、林内を駆け回ることもできそうで(写真8)、歩道沿いの樹木には植物の名札もつけられている(写真9)。。キャンプ場入り口でもらったパンフレットをたよりに歩くと、「コウモリ岩」の場所は樹木が広く伐採されて明るく、かつてコウモリがぶら下がっていた時の生態写真が掲示してある(写真10)。見通しのよい場所に集まって寝る野生動物はカラスくらいではあるまいか? いや、カラスの巣でさえ人目につかない場所だ。寝ぐらを追われたコウモリはどこに旅立ったのか。
写真5 |
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天竺の里の案内図掲示板と、花壇に植えられて雪で倒れた苗木。(2003. May 18). |
写真6 |
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木の階段と案内板が整備され、歩道沿いの樹木は伐採されている天竺の里。(2003. May 18). |
写真7 |
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砂防ダム(写真手前)、発電所調整池(写真中央の奥)と広場の駐車場。(2003. May 18). |
写真8 |
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低木がほとんど伐採されて見通しがよいブナ林。切られた低木から新芽がではじめたところ。(2003. May 18). |
写真9 |
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トチノキには名札がつけられて、歩道沿いの樹木は伐採されている。(2003. May 18). |
写真10 |
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周囲の樹木が伐採されて明るい「コウモリ岩」には、りっぱな柵があり、コウモリの生息していた写真が掲示してあるが、岩場にはコウモリはいない。(2003. May 18). |
「ヒカリゴケ」の看板が数カ所にあるので興味津々で探し回った。ヒカリゴケを観光スポットにした場所は、ここがおそらく世界唯一だ。数年前に、ある教材会社から「六日町でヒカリゴケが見つかった。貴重なものか?どのように保護したらいいか?」という電話をもらったことを思い出した。その時は、「極めてめずらしいので、大事に、そっとしておいてほしい」というくらいの助言をしたが、場所を聞いていないので、こことは思わなかった。地面には「ヒカリゴケ」の案内杭があり(写真11)、その背後にはしっかりとした木の柵がもうけられている(写真12)。その中をのぞいてみると、たしかにヒカリゴケがあった(写真13)。ほかにも2か所ほど同じような柵で保護されている場所がある。
写真11 |
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ヒカリゴケ」の案内杭。(2003. May 18). |
写真12 |
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岩陰の「ヒカリゴケ」の生育地を守る木の壁。(2003. May 18). |
写真13 |
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中央の石のまわりにわずかに緑色に光るヒカリゴケ。積雪期には光が当たらないので植物は衰退する。春はまだ生育不十分だが秋には広がる。(2003. May 18). |
- ヒカリゴケ(コケ植物蘚類の一種)についての解説
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- 発光する植物ではない。
- 細胞の中の葉緑体が太陽光を反射して緑色に見える。
- 葉のような植物体は緑色に光らない。
- 光るのはカビの菌糸のようなもの(原糸体)で、それをつかんでみても植物体の実体はないので、ただの緑色の土である。
- 岩場の小穴に生育するので強い光条件では生き残れない。
ヒカリゴケは稀少種だが、園芸価値はないので、興味本位で採られたり、踏み荒らされるおそれがある。頑丈な柵もいるし、「ヒカリゴケ」の看板も、自然教育の意味で必要だろう。このまま生存することを祈る。林床の低木が広く伐採されているが、切られた枝の新芽が伸び出している。じゃまになる時には切られるかもしれないが、その行為がヒカリゴケに悪影響をおよぼすことになる。世界唯一の場所が、「コウモリ岩」と同様にならないように注意してほしい。
駐車場と広場を結ぶ道路にはりっぱな柵がもうけられて、バリヤフリーの思想を取り入れている(写真14)。絶対に交通事故はおきないようだが、ここの年間の利用者はどれくらいか計算してほしい。都会にこそ、この施設は必要なのではありませんか? 道路沿いの斜面は伐採されて日当たりが良く、いろいろな草花が植えられており、春にはレンゲツツジが行列をなして咲いていた(写真15)。秋には、つぎのような外来種が咲いていた。ルドベキア、ハルシャギク、キンケイギク、イタチハギ、メドハギ、セイヨウノコギリソウ、アメリカセンダングサ、ヒメヨモギ、ブタクサ、マーガレット、イヌホウズキ、ヒメムカシヨモギ、ベニバナボロギク。
写真14 |
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歩道と車道は太い木の柵でしきられて、広くて安全性が高いバリヤフリーのりっぱな道路。(2003. May 18). |
写真15 |
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道の脇の花壇に植えられたレンゲツツジが咲く斜面。その周辺は広く伐採されていて明るい。(2003. May 18). |
調整池などの発電施設に資金が投入されるのは理解しやすいが、「保全地域」と「天竺の里」の考え方を私は理解できない。緑あふれる森を伐採して、バリヤフリーをめざしながら、コウモリを追放し、植え込まれた植物を鑑賞させることが、適切な資金投入と言えるのか。「天竺の里」は県独自の発想ではなく、おそらく地元からの意見が強いのかと思われる。「金あまりの新潟県」を象徴するような場所である。
ついでながら、コケ植物から見た貴重な自然 (1)で紹介した北蒲原郡黒川村胎内峡については、その場所に治水ダムが建設中である。今年8月末にこの奥胎内ダム建設についてのシンポジウムが開催された(主催:奥胎内ダムを考える会)。参加者の多くは、自然破壊と税金の無駄使いを厳しく指摘している。景観保全を重視すれば国立公園特別地域には貯水ダムは不要である(石沢 2002ab)。防災の必要度が低いものは、ただちに中止すべきだろう。「貴重な自然」をいかに強調しても、「金あまりの新潟県」にとっては何の意味もないことなのか。バリヤフリーの「天竺の里」は、町の真ん中にこそ作るべきものと思うが、納得できる説明がほしい。