除草剤による植物奇形
  石沢 進



 ヒトに対する原爆(放射能)の被害として、異常で悲惨な写真を目にすることがあります。ヒトすなわち人間は個人個人を認識でき、一目で、そのような異常の実態を認識できます。そして、その状態の非情さに心を痛め、原爆に対する憤りを直感します。

 しかしながら、植物に対して、ヒトは極めて「鈍感」のように思われます。田圃の畦を歩いたり、道路の縁に沿って歩いたりして、道路脇の「生えている雑草」に目を向けると、様々に変形した植物の形を見かけます。除草剤の散布で多くの植物は枯死してしまうが、中には除草剤の影響で一時期生長が止まるものの枯死しないものもあります。生き残った植物は、生長の一時停止のために、体の一部に異常な状態になりながら再び生長を取り戻して育っている個体を見かけます。植物は苦しいとか、痛いというような意志表示をしないので、ヒトにはその痛みは分からないし、気がついても枯れ損なっただけと判断して、見過ごして無視してしまう場合が多いように思います。ヒトが生きて行くために、他の生物を犠牲にするのは「生存競争から当然である」言ってしまえばそれまでです。しかし、それでよいのでしょうか、大変気掛かりなところです。身近に生きている植物からの「警告」のように思われてなりせん。除草剤という「毒物」が植物に与える影響の悲惨さとして感じます(写真参照)。


 除草剤は植物を枯らすが、すぐその効果はなくなり、ヒトには影響を与えない、と製造元では宣伝して販売しています。長年継続して除草剤を使うことで強い雑草のみが生き残り、弱い植物は消滅してしまい、除草剤の威力で犠牲になったそのような身近な植物の存在を忘れているように思います。ヒトがこれまでに体験したことのない大量除草剤の散布の時代ですから、その影響がどの程度になるか、時が経過しないと結果がわからないのでしょう。最近、話題になっているアベスト問題と共通するような事態が起こるのでは、と不安が離れません。

 日常よく見かける除草剤による異常な植物の生長ぶりは、ヒトに対する植物からの警告のように思われて仕方がありません。人類を末長く維持するためにも、利便性を求めているだけでなく、他の生物にも配慮が必要であり、再考を要する重要な環境問題の一つのように思われます。




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